お先にどうぞ

歳時記

現在、私は高速道路を利用する機会が多い。

昔は車を運転すること自体が好きで長時間の運転も苦にならなかったし、他車の動きや信号待ち、歩行者などへの配慮もひっくるめて楽しかった。

ところが、寄る年波と共に「運転」以外の要素が煩わしくなってきた。

街中(まちなか)のトロいヤツにイライラする、信号待ちも少ない方がいい、路肩を走る自転車は危なく感じてしょうがない、などなど・・・。特に長距離は考えたり対応することが多くて疲れてしまう。

ここ数年、自宅と実家を往復する機会が増えた。100㎞を越える距離がある。幹線道路と並行して高速道路もある。私は迷うことなく高速道路を選ぶ。金を払ってでも運転以外の要素をできるだけ排除したい思いからである。今では幹線道路を行く道順はかなり怪しくなっている。

という具合に、今の私にとって車は移動手段にすぎないから無茶な走り方はしない。高速道路でも法定速度上限辺りで走っている。だから追い越すより追い越されることの方が圧倒的に多い。私は自分のペースで走ることを優先したいので追い越されることに全く抵抗はない。むしろ追い越す方がめちゃくちゃストレスを感じる。ただ、追い越されるときに気をつけていることはある。追い越されるためのある種の「作法」は必要だと思っている。

一つ、速度を維持する。一つ、できれば若干左に寄る。

要は追い越す相手が追い越しやすいように気を遣うということだ。とはいえ、これが結構難しい。特に速度の維持はかなり気をつけないといけない。

追い越す側がその体制に入ったとき速度を落とすと車間が急に詰まってしまうし、加速してしまうとなかなか追い抜けない。いずれにしても相手に「なんだ、こいつ」という不穏な感情を抱かせかねない。昨今の世相を鑑みれば、こういう状態は避けたい。

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あるとき、いつものように何台もの車に追い越されながらふと、「自分の『生き方』ってやつも同じかもしれない。」などと思った。

競争は基本的に苦手だ。

「時間」は限られている。けれど全く都合をつけられない訳じゃない。それこそ生き死にに影響しないなら争う必要は無い。「普通」で構わない。辿り着くことが目的であって、若い頃のように速いことや先に行くことを目指してはいない。視界の前にも後ろにも車影が無いと安心する。ペースを乱されないから。熱くなったり怯えたりしなくてすむから。自分自身でいられるから・・・

また一台、速い車が追い越していく。私はペースを保ち続ける。

「運転が下手なオヤジです。お先にどうぞ。」

 

 

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