「今年は年忌法要がないから何もせんでよかろう、仏壇ちょっと飾るくらいで。」
年明けのある日、居間でそんなことを考えていたら急に”ドドドドッ”という大きな音と地響きを伴って南側の屋根の雪が一気に落ちた。家が少し揺れた。立ち上る雪煙を窓の外に見ながら「おぉ~、落ちたなぁ~。窓、大丈夫だろうな?」と瞬間思った後、ふと感じてしまった。
「なんかしろ、ってか?」
別に信心深い質では無い。雪が落ちたのは高めの気温と日射しと室内暖房のせい。全くの偶然。それは解っている。けど、そう感じてしまったんだから仕方ない。
「なんか考えるか…。」
今度は北側の屋根の雪がゆっくり”ドサ、ドサ”と落ちた。
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母と弟は真冬の同じ月に逝った。命日も離れていない。○回忌とかの年忌法要が重なるときは早いほうに合わせて一緒にすることもできる。けれど単に利供養するだけならば”まとめる”のはおかしいだろう。それぞれにせねばなるまい。だが今回はいわゆる”法事”ではないので親類縁者や坊主は呼ばないことにした。今のご時世、そもそも気軽に呼べないし…。
結局、”盂蘭盆の飾りで提灯がないバージョン”という、始めに考えていたこととあまり変わらない形で供養にすることにした。
それで弟の日、氷点下20℃のあと、強風…。窓がガタガタ鳴りっぱなし。
さらに母の日、大嵐…。家、揺れたよ…
なんで…?
たまたまだよ、たまたま。そう思いはしてもどこか引っかかるというか割り切れないというか、つまりは気持ちが悪かったので、母の命日が過ぎたある日、改めて仏壇周りの掃除とその隣にある床の間をちょっと飾り付けて仏間の環境を若干整えてみた。「まぁこれで勘弁してくれや。」って感じで。
あ、納骨堂忘れてた…。
日を改めて納骨堂に出向き、簡単に壇の掃除と整理をした。決して信心深い質ではない。でもなんか落ち着かなかったので、そうした。寒い朝だった。
帰りがけ、キンとシバれた空に綺麗な月が出ていた。
「…そういうことか。」と呟くと、白い吐息が虚空に流れていった。
何に納得したのかは自分でも分からなかったけど、ふっと気分が軽くなった。
何気なく、吐いた息の行方を追っていると、山の端を越えた朝の光が差し込む場所にいくつもの小さな煌めきがある事に気づいた。
「あ、ダイヤモンド・ダスト…」
その日、屋根に積もった雪が落ちることはなかった。
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