・個人的な意見ですが
以前Twitterでもつぶやいたのだけれど、テレビやラジオなどの公の媒体で「○○の専門家」とか「△△大学准教授」などの肩書を背負っての発言やコメントを求められている人が場合によって「これは私の個人的な見解ですが」と前置きをして意見を言うことは当然あることだと思う。それは解る。
けれど、ニュースサイトとかのコメント欄での発言(ほぼ匿名なので誰かわからん)や組織の看板を背負っていない立場とか場所とかで「個人的には・・・」と前置きされたりすると「わかっとるわ、そんなこと。」と思ってしまう。文末などでの「個人的にそう思う。」という言い回しも同じ。
自分、天邪鬼ですから。
看板を背負った状況での「個人的には・・・」は、”配慮”である。けど個人の意見だと判りきった状況でのそれは”癖”でなければ単に「格好つけ」か「自己満足」。だって元々周りに何の影響もないのに「この意見の責任はすべて私にあります。」ってことをわざわざ(いちいち)表明しているんだからね。
あまり安易に多用していい言い回しじゃないと思う。発言者の言葉が軽くなる虞があると、個人的にはそう思う。
・全然
「全然問題ない」というように否定的な状況や状態を強調する言葉だと教わった。それがいつの間にか「全然大丈夫」みたいに単に状況・状態を強調する言葉にもなっている。多数派ではないらしいけど。
多分、「大丈夫?」と聞かれて「全然問題ない。」と応えるシチュエーションで「全然(問題ない)。大丈夫。」というように否定部分が略された使い方(口語)をされてきたのが次第に定着して、結果、今では「大丈夫」を強調するだけの言葉として使われるようになってきたんじゃないか、と勝手に思っている。
この言い回し、今まで「間違ってる!」とまでは思わなかったけど「なんか変だな?」とは感じてきた。
けどこの感じ方は、今では多数派となった”戦後の教育を受けた者”が覚える特有のものなのかもしれないなと考えるようになった。
「全然」という言葉には「まったく」「少しも」という”正しい”とされる意味以外にも「完全に」「全面的に」という意味もあって、この言葉が日本に伝わった頃(江戸時代みたい)は後者の意味で使っていたらしい。明治期の文豪の文章なんかにもこの用法が見られるのだそうな。
言葉は生き物。世情によって変わりゆくもの。違和感を覚えてストレスが溜まったとしても「これが正解」と決めつけるのは良くないと思う。だから「全然」についても ”正当(正統)な用法はこうだ” とか ”戦後教育の用法は狭い考え方だ” とか言うつもりは毛頭ない。
私は「”全然”は否定的な状況や状態を強調する言葉だ」と教わった。だからそう理解し使ってきた。時折肯定的な使い方を聞いて「あれ?」と思うことがある。しかし一方で同じ言い回しをする自分がいたりもする。こうした言葉遣いの齟齬を「乱れ」と指摘するか「揺らぎ」の範囲と受け取るか、それは感性だから”正解はない”。
あえて何かを問題とするなら、”そういうことにしましょう”と決めた「指針」や”そう教えましょう”と揃えた「教育」にあるのだろうけど、私の手に余るのでこれ以上は考えないことにしよう・・・。
「そんな考え方で大丈夫か?」「全然大丈夫だ。問題ない。」
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