盂蘭盆会 ~迎えつつ、送りつつ~

歳時記

子供のころ、「お盆」は父の故郷で過ごすのがほとんどだった。

なかなか会えない祖母からお小遣いがもらえたり、そこは海沿いの街だったから海水浴もできて楽しみではあったけれど、墓参りやお寺に出向くのは憂鬱だった。何より「お参り」の意味が分からない。誰に何のために頭を下げているのか、理解できなかった。

「ご先祖様があの世から家に帰ってくるときだから」

顔も知らないご先祖様が帰ってきてもあまり嬉しくないし、そもそも帰ってきてるのであればお墓やお寺に行かなくてもいいんじゃない?と、私は子供のころから捻くれていた。それでも特典の海水浴や従姉弟たちと遊ぶのが楽しくて、毎年のように海沿いの街を訪れた。

中学の時、祖母が亡くなった。

次の年の夏、なんとなく「お盆」の意味が分かり始めた。それでも、なんとなく…。

大人になるにつれ、海沿いの街に行く機会が減った。父も歳を重ねるにつれ帰郷の理由が次第に薄れていったのか「お盆」に限らず故郷へ帰ることが減った。

その一方で、私が「お盆」に父母のもとに帰省することが多くなっていった。祭るべき人は家にはいない。ただ、父母の顔を見に帰った。二人に迎えられ、兄弟たちと顔を合わせ、たまに海沿いの街に墓参りに行き、土産をもらって「いってらっしゃい」と送り出される。そんな「お盆」が長く続いた。

 

弟と母が、続けて逝った。

初めて弟を迎えた夏のことは、実はあまり覚えていない。まだ母がいたから。半分迎えられ、半分迎える立場だったから。

二人を迎えた昨夏のことも、あまりよく覚えていない。すべて手探りだったから。

今夏の盆入り前、初めて自分で仏壇と納骨堂の掃除をした。盆提灯に精霊馬、お供えと御霊供膳も用意した。いつ誰が来てもいいように。何より、二人がいつ帰ってきてもいいように…。

今年の「お盆」は沢山の人が来てくれた。忙しさの中で、妙に嬉しかった。

送り火の日、父が寝室に引き上げた後、仏間を片付けているときに玄関で「カタッ」と音がした。確かに聞こえた。気になったので見に行ったが、誰も居なかった。念のため玄関を開けてみたが何事もなく、ただ虫が鳴いていた。

なぜかふと、可笑しさが込み上げたあと、独り言のようにつぶやいていた。

「いってらっしゃい」

そのあと仏間で、私はひとりでビールを飲んだ。

 

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