私の座右の銘は 「”普通”であることに努力しろ」 である。
思春期、私は”不思議な人になりたい”と思っていた。他人とは違う存在に憧れていたけれど、世間から完全に浮いた人間になる勇気もなかったので、”不思議”という位置がいいと思っていた。他人の常識からちょっとズレて、当たり前のことをひねた態度で評価する自分。それが良いと思っていた。まぁ、ぶっちゃけ中二病である。
社会に出た頃、”当たり前というのは存外難しい”ことを知った。”当たり前”の基準となる”常識”が人によって違うことを覚え、”常識”が必ずしも善ではない場面に遭遇し、自分が”当然だ”と思ったことについて知人から「特別なことなんだよ。」と教えられたり。
そんなことを経験をするうち、”何事もなく当たり前に過ごすにはそれなりに気をつけなければならない”ということを学んだ。穏やかな日常とは世間との折り合いの中にあるものであって、そこに至るまでには相応の努力が要るということも覚えた。そのことでちょっと疲れたりもした。
そんなある日、今からちょうど十年前。唐突に、膨大な人達の”当たり前の日常”が崩れた。
衝撃的だった。画面の向こう側には紛れもなく巨大な”非日常”があった。そして自分の周りも”当たり前ではない日常”が其処此処に生まれていた。
”いままでどおりの暮らし”は、無理や無茶をしても得られなくなった。”不可能”になった。「今まで出来たことが何故出来ないのか」という罵声をいろんなところで何度も聞いた。”今は普通じゃないんだから貴方の当たり前は通用しないんだよ”と何度も思った。そして当たり前にそこにある、普通にそこに居る、そのことの難しさと重みを実感した。何も出来なかったから尚更、その実感は私の記憶に刻み込まれた。
あの日から今までに幾度か、私の当たり前の風景が破れたことがあった。そのたびに考えたのは「今は普通じゃないけど、これから普通になるにはどうしたらいいか。」ということだった。過ぎた時間は取り戻せない。失ったものは取り返せない。だから、普通に戻るんじゃなく”普通になる”のだ。だから、時間がかかるのを承知でそれまでの”普通”を変えたこともあった。あの日”当たり前の日常”をなくした人達がそうしているように。
それで良かったのか良くなかったのか、今は解らない。まぁ、結論は最後の刻に解ればそれでいいだろうと思っている。そしてこれからも”当たり前”が崩れたときにはそうしていくと決めている。
あの日の出来事は、私が「自分の生き方」を真剣に考えることの端緒になった。あの日を境に生き方が変わったとは思わない。まだ調整中のような気がしている。けれど無邪気に”不思議”や”違う”ことに憧れることはできなくなった。これが大人になったということなのだろうか?よくは解らない。ただ間違いないことは、平成23年3月11日が私にとって「忘れられず、忘れてはならない日」になったということ。
今年も、私に気付きを与えてくれた数多の御霊に対し…
黙祷。
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